寄稿 『もぐり 第5回 不登校・ひきこもり相談会』

アニです。

『不登校・ひきこもり支援「もぐり」』では、今年から不定期で『不登校・ひきこもり講座&相談会』を実施しています。

今回は「子どもと向き合うにはどうすればいいのか」をテーマとした講座と個別相談会です。

第1回目から引き続き感想を『不登校ひきこもり情報たーみなるinながさき』へ寄稿してくれました。

前回の『不登校・ひきこもり講座&相談会』の感想についてはこちら

寄稿『もぐり 第5回 不登校・ひきこもり相談会』

1組だけの相談ということで、ゆっくり話す機会となりました。

子どもが不登校やひきこもりになると、わが子の“できていないこと”がわかりやすく目にみえてきます。

朝ちゃんと起きることだったり、学習だったり、友達作りや部活、就職活動や果ては入浴、歯磨きなどまで。比較対象は一般的な同年代同性でしょうが、もしかしたら親自身の過去がその場合もあるかもしれません。

“私の時は○○だったから~せめて○○はしてほしい”、“俺の時は○○だったのに~何で○○くらいできないのか”と思ったことはないでしょうか。

もちろんできていないことを責め続けていくわけではないと思います。

なぜなら目の前で苦しんでいる子どもの姿に、“今はそれどころじゃない”という思いが出てくるからです。そこから受け入れと妥協が始まります。それは悪いことではありません。

親自身が安定しながら子どもと関わっていく時に、この受け入れと妥協はひとつの大切な感覚だと思います。

でも完全には消すことのできない思いもあります。

だってわが子です。幸せに生きていってほしいと誰よりも願う中で、“○○はできなくても(しなくても)いい”と100%は思えないと思います。

“せめて○○だけは・・・”。この“せめて○○”。どうしても出てきます。

「学校は行かなくてもいいけど、おとなになったら人間関係は大切だから、せめて誰か人と触れ合えるような生活をしてほしい」、「正社員じゃなくてもいいから、せめてバイトだけでもしてほしい」、「部屋からまったく出てこなくてもいいから、せめてご飯だけはちゃんと食べてほしい」というような。

周りの人たちは当事者に対してハードルを下げていっているつもりでも、この“せめて○○”が一歩目のハードルだけをすごく高くしている場合があります。

しかしその一歩目のハードルが、必ずしも低いほうが良いというわけではないのが、また難しいところです。

 

いかがだったでしょうか?

ちょっとアニなりにこの話を膨らませてみたいと思います。

「妥協」と聞くとネガティブなイメージが先行しがちですが、寄稿にあるように決して悪いことではありません。

この親の「妥協」を言い換えるならば「寛容」といったところでしょうか。

子どもの状態を考えて「寛容」を示し受け入れる。重要なことだと思います。

ただこの「寛容」は非常に曲者で、自分の中でボーダーラインを決めなければ際限がなくなります。

際限がなくなった「寛容」は、場合によっては子どものプライドを著しく傷つけることがあります。「そのくらいできる!!」と思われるかもしれません。

また、無秩序な「寛容」が子どもの判断を鈍らせ、許されない行為を助長する可能性も否定できません。いくら辛いからといって暴力を振るったり、罪は犯すことは許されないことです。

この「寛容」は塩梅が難しいのです。ではこの良い感じの塩梅を実現するにはどうしたら良いか?

親が心に余裕を持って、子どもと向き合うことでしか見出せないと思います。

考えていたハードルが高かったり、低かったりして子どもを傷つけることもあるかもしれません。しかし、そうやって徐々に子どもに適した塩梅のハードルに調節されていきます。

そして忘れてはならないのが、そのハードルの適した塩梅は絶えず変化することです。

つまり子どもと向き合い、子どもの状態を確認する作業を繰り返す必要があるのです。これには忍耐が必要ですし、心の余裕を持つことは必須です。

こう考えると、親は本当に大変だと実感させられます。

アニも随分と親に迷惑かけましたから…今思うと、アニの親は良い塩梅の「寛容」を必死で探していたんじゃないかと思いました。

今日ぐらいは親孝行しようかと思います(笑)

 

『第6回 もぐり 不登校・ひきこもり講座&相談会』についてはこちら

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